皆さま、こんにちは!
黄金週間真っただ中の今日、
皆さまは旅を満喫されてましたかね?
自分は月末に予定している旅に向けて
軍資金稼ぎ(という名の仕事)をしてましたよ。
今日は3年前に訪れた芸備線から
中深川(なかふかわ)駅の訪問記です。
単式ホームの上に待合室(駅舎)があるだけの
停留場タイプの駅でした。
芸備線を利用したことがある方は
ご存知かと思いますが、
「深川」が付く駅名の駅が3つも並んでます。
ここで注目なのが3つの駅の開業年です。
3つの駅の頭文字が
上・中・下とキレイに並んでいるので
開業年が近い駅同志のと思いましたら、
14年間の隔たりがあったみたいですね。
一番古いのは下深川駅で大正4年に開業、
次が大正12年開業の中深川駅です。
最後に上深川駅が昭和4年に開業しました。
ちなみに3つの駅が開業した当時の自治体は
深川村(合併により昭和30年に消滅)で、
更に遡ると、それぞれの駅周辺は
下深川村(下深川駅)、中深川村(中深川駅・上深川駅)
だったとのこと。
過去の村名が駅名の由来になったようです。
函館本線の深川駅に
遠慮したワケではなさそうですよ。
そんな中深川駅は深川地区の中心にあり、
県道37号線(広島三次線)からも近く、
国道の右手側に中深川郵便局が見えますよね。
ちなみに中深川駅は左手側を直進したところにあります。
中深川駅では昭和46年まで
小手荷物の取り扱いがあったとのこと。
郵便局がここにあるのは
駅に小手荷物の取り扱いがあった時代の
名残ではないでしょうか。
中深川駅の全景なり~
その奥にある駅便(駅の便所)が気になる人、
この指とまれ!
ちなみに駅舎と駅便は
旧駅舎に代わって昭和53年に竣工したモノです。
駅舎に竣工年を記す建物財産標が貼られてました。
それでは、
現在の駅舎(待合所)が完成する以前の中深川駅は
どんな様相だったかというと…
下は国土地理院のサイトに掲載中の
昭和49年撮影の航空写真です。
有人駅時代の駅舎が写ってましたっけ。
現在の駅舎(待合所)は旧駅舎跡に設けられました。
駅便ですけど、旧駅舎の排水設備を引き継ぐ関係から
この位置にあるのかもしれません。
駅舎の中を覗いてみましょう。
駅舎の仕様はお隣にある上深川駅のモノと
同じ仕様でした。
待合所の中はこんな感じです。
お次はホームにイン。
中深川駅は単式ホームがあるだけの棒線駅でしたよ。
このタイプの駅舎、
九州ではポピュラーですけど
山陽・山陰地区では稀な存在ではないでしょうか?
最後は中深川駅を発車する
キハ47の普通列車の姿で〆ます。
それにしても、国鉄時代の駅舎に
国鉄形のキハ47は映えますわね。
尾灯が死んだ魚の目とか、絶対に言っちゃダメ!
↑(備中神代駅方面)
備後落合駅
西三次駅
志和地駅
上川立駅
甲立駅
吉田口駅
向原駅
志和口駅
狩留家駅
中深川駅(令和3年7月4日)
↓(広島駅方面)
駅探訪記、旅情報を不定期に更新中。
新着情報がすぐ受け取れるフォロワー登録をお願いします!